嫌われるのが怖くて自分を出せない
遥か昔から語り継がれる教えも、自然法則も言ってますが
誰からも好かれるなんてことはないんです
気持ちを軽くして他人軸を自分軸にしていきましょう!

誰からも好かれる人 0人説
1.我慢はストレス
ユダヤの教え 自然法則 どちらも嫌う人がいて当たり前と言う
2.嫌われる=自由
嫌われないようにする不自由をイソップ寓話から
3.自分を生きる
八方美人・他人軸ではなく自分軸で
我慢はストレス
人に嫌われることを恐れて
自分を抑え込んでませんか?
でも誰からも嫌われないようにする
これはやりすぎです

自分が辛くなるだけ
全ての人に好かれることはできません
名著から
ユダヤの教えを引いた一節をご紹介します
10人の人がいるとしたら
そのうちの1人はどんなことがあっても
あなたを批判する
あなたを嫌ってくるし
こちらもその人のことを好きになれない
そして10人のうちの2人は
互いに全てを受け入れ合える親友になれる
残りの7人は、どちらでもない人々だ
「嫌われる勇気」岸見一郎・古賀史健 著より
2:8パレートの法則というのもあって
(別名2:6:2の法則ともいいます)
売上の8割は2割の社員が立ててるとか
働きアリの2割がせっせと働いてる
っていう話が有名です
8割をさらに6と2に分けられます
こんな自然法則ですが
人間関係に当てはめると
2割は嫌ってくるってことです

これらの話からすると
おおよそ1-2割からは嫌われるってことです
30人のクラスなら
3-6人くらいは仲良くなれない
嫌ってくる人がいる
この前提で考えると
全員に好かれようとすること自体不毛です

そもそも1-2割には嫌われる
でも一方で2割には好かれるわけです
それなら嫌ってくる人と無理して仲良くしようとしない
2割の仲良くなれる人を大事にすればいいんです

誰とでも仲良くしようとしなくていいんです
辛くなるほど我慢しなくていいんです
もう少し自分に正直に生きていいんです
全員に好かれるのはムリ
気が合う人と仲良くすればOK

シンプルにコレでいいんです
八方美人タイプの方はこの考えに立つと
すごく楽になります
余計な気を遣うのは相当なストレス
嫌ってくる人は
「1-2割の人なんだ」
と割り切りましょう
面倒や不快がごっそり剥がれ落ちますよ
嫌われる=自由
自由とは、他者から嫌われることである

名著「嫌われる勇気」の名言です
つまり人に嫌われることを恐れず
人に合わせたり、評価や視線を気にせず
自分軸で生きる
これが自由に生きるということだと

なぜなら嫌われないようにするのは
自分を抑えて
他者の望むように生きることだからです
自分に鎖を巻くようなものです
20人、30人の集団なら
それだけの望みに答える
→鎖でがんじがらめになるわけです

そこに自分はない
他人軸で生きることほど
不自由なことはありません
例えとして「ロバと親子」
というお話をご紹介します
町にある市場でロバを売るため
親子とロバが田舎道を歩いてた
すると道端で井戸水を組んでいた
女の子たちがそれを見て言った
「なんてバカな人達でしょう!
どっちか1人がロバに乗ればいいのにさ
二人とも埃をかぶって
トボトボ歩いているのに
ロバはあんなに気楽に歩いてるわ 」
親父さんはその通りだと思い
息子をロバの背中に乗せた
しばらく行くと老人たちが
たき火をしている所に来た
老人の一人がこう言った
「今の若い者は年寄りを大切にしない
ご覧よ、年を取った親父さんが
疲れた様子で歩いているのに
あの子はロバに乗って
平気な様子じゃないか」
親父さんはこれを聞いて
それもそうだなと思った
そして息子を降ろし自分がロバに乗った
しばらく行くと子供を抱いた
三人の女たちに会った
ひとりの女がこう言った
「全く恥ずかしいことだよ
子供があんなに疲れた様子なのに
どうして歩かせておけるんだよ
自分は王様みたいにロバに乗ってさ」
そこで親父さんは
息子を引き上げて自分の前に乗せた
しばらく行くと
数人の若者たちに出くわした
一人の若者がこう言った
「君たちはどうかしているんじゃないか
その小さなロバに二人が乗る
なんていうのは無慈悲だよ
動物虐待だと言われても仕方がない」
その通りだと思った二人は
ロバから降りた
そして親父さんは言った
「こうなったら二人で
ロバをかついで行くしかない」
2人はロバの後ろ足と前足を
それぞれ綱で縛って
道端にあった丈夫そうな棒を
その間に通した
子供が棒の片方を親父さんが
棒のもう片方を持って
エンヤエンヤと担いで歩いて行った
町の人たちは
この様子を見て手を叩いて笑った

世の中いろんな人がいて
自分の立場でものを言います
この話でもそれぞれが言うことに
一理あるとは思いますが
一人の意見に応えて言う通りにしても
別の人から非難される

結果ロバを担ぐという
間抜けな行動に出て笑われる
この親子は他人に振り回されて
他人軸で生きている人の例えです

まったく自由じゃないですよね
非難の言葉=嫌われることを恐れず
雑音をスルーして
最初のままずっと歩いて行く
これが自分軸で生きるということです

どうしたって必ず非難してくる人はいます
嫌われる勇気を持って
自分軸で生きるのが自由で気楽です
自分を生きる
嫌われる勇気を持って
自分軸で生きられるようになると
気が楽になるだけでなく
とってもいいことがあります
他人軸で生きて八方美人してると周りは

空気みたい

自分の意見がない

何考えてるかわからない
こんなふうに受け取って結局は嫌われることになります
またお話ですが
「卑怯なコウモリ」というイソップ寓話です
獣と鳥に分かれ
どちらが強いかで争いになった
身体が小さい鳥はいつも劣勢
その様子を見てたずる賢いコウモリは
鳥の仲間でありながら
獣が有利になると獣たちの前に姿を現し
「私は全身に毛が生えているから
獣の仲間です」
と言った
そして
鳥が有利になると鳥たちの前に姿を現し
「私は羽があるから、鳥の仲間です」
と言った
その後、鳥と獣が仲直り
でもどちらにもいい顔をしたコウモリは
「お前みたいな卑怯者は二度と出てくるな」
と皆に嫌われ仲間はずれにされる
居場所のなくなったコウモリはやがて
暗い洞窟の中へ身を潜め
皆が寝静まった夜だけ飛ぶようになった

八方美人で他人軸
嫌われないように自分抑えて
気を遣ってストレス感じて
結局は嫌われる

一番損なパターンです
いかがでしたか?
嫌われないようにするのは不自由
たとえ嫌う人がいても自分軸で自由に生きる

嫌われるのはちょっとなぁ
そして嫌うならそれまで

ああ、嫌う側の人ね
と捉えればいいんです
昔ながらの「誰とでも仲良くしよう」みたいな
いわゆる一般常識は過去のもの
今には今の人間関係のポイントがありますから
嫌われる勇気を持って
恐れず自分を出してみてください
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